新選組と京都トレイル(2)島原〜壬生
前回の続きです。 dokutabi.hatenablog.jp
角屋
輪違屋(わちがいや)の次は角屋(すみや)を見に行きました。
輪違屋から徒歩数分で到着。
まず大きさに圧倒されます。その場では「すごい」しか言葉が出てこなかったほど。間口は約31mだそう。当時の盛況ぶりが伺えますね。そして格子造りが美しい!
角屋は揚屋建築の唯一の遺構として国の重要文化財に指定されているそうです。
現在は「もてなしの文化美術館」として一部を一般公開しています。時間の都合で今回は入れなかったけど、次の機会にはじっくり見学したいな。
ここで新選組の面々が談論風発してたんだ〜とか、ここからベロベロに酔っ払って壬生の屯所まで歩いて帰ったのか〜とか、頭の中で幕末にタイムスリップしながら角屋を目に焼き付けました。
若かりし頃のお約束でしょうか。私、中高生の頃に時代小説から新選組にハマり、一時は史実探索に明け暮れておったのです。
でも、当時の私にできることといえば図書館に通いつめて研究本や古い文献を読み漁ることくらい。
現地訪問できるようになったのは大人になってからでした。それも今ほど自由にあちこちに行けるわけでなく、ようやく行けたのは東京の日野と町田、京都の壬生だけでした。
なので今回島原に行けて嬉しかったです。壬生と島原は目と鼻の先なのに、どうして行けなかったのか不思議ですが。
当時はまだ携帯電話が一般に普及し始めたばかりの時代でしたので、今のようにネットもなく、簡単に地理がわからなかったんですよね。
電車やバスの時刻表だって駅に備え付けの本で調べるか現地に行かないとわかりませんでしたからね。
それが今やスマホでなんでも調べられるんだから、ほんと便利な世の中になったものです。
っていうか、BBAになったなぁぁぁぁぁ!といらぬ実感が…orz
東鴻臚館趾
角屋の近くに東鴻臚館趾(ひがしこうろかんあと)の石碑がありました。平安時代に渤海国(ぼっかいこく)の使節団をもてなすための迎賓館として使われていたそうです。
渤海(ぼっかい、698年[4] - 926年)は、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国家。大祚栄により建国され、周囲との交易で栄え、唐からも「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれたが、最後は契丹(遼)によって滅ぼされた。
壬生寺
島原を出た後は、目指すバス停の方向に壬生寺があったので壬生寺にも寄りました。
島原を出て北にどんどん進み、「壬生寺」の石碑を東に入ると壬生寺北門があります。
この石碑、島原方面から行くとちょっと見落としやすいのでご注意ください。私はうっかり通り過ぎて戻る羽目になりました(^-^;)
簡易地図を描いておきます。
三井のリパーク(駐車場)の斜め前に石碑があります。
こちらが表門。さすが立派ですね。
壬生寺は新選組の軍事訓練の場でした。すぐそばには屯所だった八木邸、前川邸があります。
前回の壬生訪問は二十数年前ですが、寺では壬生塚(隊士の墓)が建物に囲われて見学有料になってるし、当時は非公開だった前川邸にはグッズ販売所ができてたりして、その様変わりようにビックリ!
史跡保存のためなのでしょうね。歴史を守って行くのは大変なんだなぁと、ちょっと現実に戻りつつ壬生を後にしました。
四条大宮に着くと16:05。ちょうど良い時間。予定通りのバスに乗れました♪
夕食を宿近くのファミレスで済ませて1日目が終了〜。2日目は京都トレイル・西山コースです。朝熊岳道のトラウマがある私は、ちゃんとついていけるか緊張しながら就寝しました。